2017年3月24日金曜日

久しぶりのお出かけ④


早朝の横浜桜木町
横浜みなとみらい

ホテル14階からの風景

越後長岡ではお日様は山から顔を出します。
海からの日の出は何十年ぶりかな?

もう少し早く起きれば良かった!



早朝の日本丸











2017年3月23日木曜日

久しぶりのお出かけ③

横浜桜木町 夜景
横浜みなとみらい

ホテル14階からの風景

みなとみらい遠景

夜の日本丸

夜の大観覧車












2017年3月22日水曜日

久しぶりのお出かけ②


横浜桜木町
横浜みなとみらい

ホテル14階からの風景

汽車道からみなとみらいへ

横浜赤レンガ倉庫

大桟橋埠頭(遠方は首都高速湾岸線)

よこはまコスモワールド・大観覧車
(遠方は横浜工場群)








2017年3月21日火曜日

久しぶりのお出かけ⓵

横浜桜木町
今月初めころ、甥の結婚式で久しぶりに横浜に行って来ました。

雪国で生活していると気温8℃くらいで暖かく感じます。
もう春の感じがして、春の装いで新幹線に乗って長岡を出発しました。
久しぶりの上京で東京はとても暖かく、妻との会話で薄着で来て良かったね・・・と。
横浜に向かう電車の中で何気なく廻りを見回すと、ナ・ナ・ナ・・・何と
ほぼ全員真冬の恰好をしているではないか・・・。
老いも若きも防寒着を着ているではないか?・・・ア・ア・ア・・・暑くないのか?
薄着で電車に乗っているのは私たち老夫婦のみ・・・・なんか恥ずかしい気持ちです。
桜木町駅からホテルに向かう道中も皆さん冬の衣装です。(暑くないのかな?)

最近の長岡では真冬でも防寒着を着ないでブレザーのままでお出かけする人も多いので驚きました。
(田舎者は薄着なのかな?)

桜木町のホテルの14階からの写真です
〖横浜みなとみらいの風景です〗

ヨコハマコスモワールド遠景


 日本丸

 ヨコハマグランドインターコンチネンタルホテルと
よこはまコスモワールド大観覧車

 横浜の工場群遠景

今年は医師からある病気で酒を止められ結婚式では酒が飲めず、
横浜ではホテルの柔らかいベットで寝たせいか長岡に帰ってきてから腰痛に悩まされて約1週間寝たきりで最近ようやくパソコンを操作できるようになりました。
毎日杖をつきながら医者通いです。(早く良くなりたいです。)






2017年3月9日木曜日

長岡の史跡散歩❺


米百俵の群像


「米百俵の群像」は、山本有三の戯曲「米百俵」を歌舞伎座で上演した時の一場面を、ブロンズの像で再現したものです。
 原型を制作したのは長岡市美術協会(米百俵群像制作委員)の6名で、群像は全部で12体あり、立像は高さ2メートル余り、重さは平均1トンもあります。背景には刀をイメージした石柱が立てられています。


 -米百俵と小林虎三郎-
 慶応4年(1868)5月に新政府軍との戦いは長岡の敗北で終結しました。
 まちは焦土と化し、禄高は三分の二に減らされ、人々は極貧の生活を強いられていました。
 こうした貧困と混乱の中、敗戦の翌年、明治2年(1869)5月に、小林虎三郎らによって、焼け残った四郎丸の昌福寺本堂を借りて国漢学校が開校されました。
 翌3年春、長岡の窮状を見かねた分家の三根山藩から米百俵が届きました。ところが小林虎三郎は、「早く米を分けろ!」といきり立つ藩士たちに向かって「この米を、一日か二日で食いつぶして何が残る。国がおこるのも、まちが栄えるのも、ことごとく人にある。食えないからこそ、学校を建て人物を養成するのだ」と論じました。
 こうして米百俵は国漢学校の建設の資金に充てられ、明治3年6月15日坂之上町(現大手通2丁目)に開校し、長岡の近代教育の土台が築かれました。


 -戯曲「米百俵」-
 国漢学校創立時の故事をもとに、山本有三氏が戯曲として書き下ろしたのが「米百俵」で昭和18年(1943)、小林虎三郎に関する詳細な研究とあわせて一冊の本にまとめられ、新潮社から出版されました。
 しかし時代は軍部の支配下にあり、教育と反戦の思想で裏打ちされた「米百俵」は反戦戯曲だと強い弾圧を受けて絶版となり、自由回収の憂き目を見ました。
 それから約30年後の昭和50年(1975)長岡市が「米百俵小林虎三郎の思想」を復刻出版するとたいへんな反響をよびました。
 そして昭和54年(1979)には歌舞伎座で上演され、多くの人々に感銘を与えました。



所在地長岡市千秋(ハイブ長岡前)
アクセスJR長岡駅大手口よりバス10分
駐車場有り
問合せ長岡市立科学博物館 TEL 0258-32-0546




2017年3月8日水曜日

長岡の史跡散歩❹

八丁沖古戦場パーク

 八丁沖は長岡の東北郊外、百束(ひゃくそく)、大黒(だいこく)あたりから、南は富島(とみじま)、亀貝(かめがい)にいたる南北約5キロ東西約3キロにわたる大沼沢地でした。


 河井継之助は、長岡城奪回のため、長岡全軍の力を一つにして、この八丁沖を密かに渡り、一気に城下へ突入することを計画しました。
 そして慶応4年(1868)7月24日午後7時ごろ行動を開始し、全軍600余名声をひそめて潜行し、7月25日未明に富島へたどり着き、大激戦のすえ宮下の新政府軍前線基地を占領しました。さらに、全軍を4手に分け、長岡城をめざして猛進撃に移りました。
 不意を突かれた新政府軍は、必死に防戦したが昼すぎには勝敗は明らかとなり、長岡城の奪回に成功しました。



 継之助のこの八丁沖渡河作戦は、この方面の防備が手薄なのを察知し、巧みにその虚をついた作戦として、現在でも高く評価されています。また、この作戦の勲功者であった鬼頭熊次郎の碑は同町日光社に建っています。
 「八丁沖古戦場」の石碑・解説碑、「手洗鉢」があります。




所在地長岡市富島町
アクセスJR長岡駅大手口よりバス25分
駐車場有り
問合せ長岡市観光企画課 TEL 0258-39-2344





2017年3月7日火曜日

長岡の史跡散歩❸

大黒古戦場パーク


 慶応4年(1868)の夏、このあたりは北越戊辰戦争最大の激戦地となり、長岡、会津、米沢藩兵らの奥

羽越同盟軍と薩摩、長州藩兵らの新政府軍との間で幾度も激闘がかわされた場所で、付近の人びとは、その勇戦を讃え碑を建てました。
 パーク内に「大黒戊辰戦跡記念碑」があります。






所在地長岡市大黒町
アクセスJR長岡駅大手口よりバス25分
駐車場有り
問合せ長岡市観光企画課 TEL 0258-39-2344







2017年3月3日金曜日

長岡の歴史散歩❷

馬高・三十稲場遺跡

馬高・三十稲場遺跡は関原の南方に発達している信濃川左岸の河岸段丘上に小さな沢をはさんで東に馬高、西に三十稲場とわかれて所在しています。


    馬高・三十稲場遺跡 馬高縄文館

        


 馬高は火焔土器を出土した県内最大級の縄文中期の集落址でその規模は東西で150m、南北で250mあります。


 この遺跡は近藤勘治郎・篤三郎父子による調査をはじめとして、これまでに多くの調査が実施され、多数の住居址や炉址とともに火焔土器・王冠形土器、玉などの装身具、大形土偶などの生活や信仰に関係する遺物が多く発見されています。



 馬高で生活した人々は次の縄文後期になると三十稲場に生活の場を移しました。
 三十稲場は近藤氏父子やオランダ人グロートなどによって調査が行われてきました。
 この遺跡は馬高と同じ規模をもつ大集落址で、ダルマ形の石囲炉や住居址、それに多くの出土品は馬高に勝るとも劣らない内容をもっており、馬高とともに新潟県を代表する遺跡です。




所在地長岡市関原町1丁目
アクセス・JR長岡駅大手口からバス25分
・長岡ICより車5分
駐車場有り(駐車中はエンジンを停止してください)
問合せ馬高縄文館 TEL 0258-46-0601





2017年3月2日木曜日

長岡の歴史散歩❶

藤橋歴史の広場

 藤橋遺跡は、信濃川中流域の河岸段丘上に所在する縄文時代後期から晩期に至る集落跡です。




 住居跡や土壙等多数の遺構と越後・会津地方の標式とされる藤橋式土器(晩期)・石鏃・板状石器・石斧等の多種の石器等の遺物の他、ヒスイ、その他の玉類の未完成品等が発見されています。
 ヒスイその他の原石を加工していた集落と推定され、数少ない玉作りの遺跡として重要です。



 「藤橋歴史の広場」内には、藤橋歴史館、遺構展示館、縄文の家、縄文の広場、自由の広場があり、出土品や当時の様子を復元した模型や映像・パネルなどが展示してあり、縄文時代について楽しく学ぶことができます。



所在地長岡市西津町4157番地1
時間午前9時から午後5時まで
休館期間毎週月曜日及び12月1日から翌年3月31日まで
料金無料
アクセス・JR長岡駅大手口からバス25分
・長岡ICより車5分
駐車場有り
問合せ藤橋歴史の広場 TEL 0258-46-8441




2017年3月1日水曜日

大竹邸記念館庭園内


長岡の神社・仏閣 〖池公社〗

 池公社は建保2年(1219)8月11日、信濃川の氾濫で溺死したと伝えられる平頼盛卿をお祀りされたとされる神社風の廟で、大竹邸の敷地内に建てられています。土地の人は「池さま」と呼びならわし、安置されている尊像は薄幸な貴人の面影を伝えています。





所在地長岡市中之島4番地1(大竹邸記念館庭園内)
アクセス・長岡駅大手口バス11番線より東三条駅行・または分水駅行のバスで二番組町下車徒歩1分
・北陸道中之島・見附I.Cから中之島方面へ2km、約3分
駐車場有り
問合せ中之島支所産業建設課 TEL 0258-61-2013