織物産地の活気や人々の暮らしを今に伝える
江戸雑司ケ谷(ぞうしがや)の彫刻師石川安兵衛(号:雲蝶(うんちょう))により手がけられ完成したのは嘉永元年(1848)です。
御堂の南北両側面(それぞれ縦1.11m横1.53m)、及び袖側(それぞれ縦1.11m、横0.55m)に、欅の1枚板を使って、桑負いから繭をとるまでの一連の養蚕の過程と、そして繭煮から機織りまでの様子が生き生きと表現されています。四面にそれぞれ彫り出された人物の服装・表情などは幾分中国的ですが、その構図の躍動性、巧みな彫刻技法は見る人を驚嘆させずにはおかないほどです。
栃尾織物の基礎を築き、縞紬(しまつむぎ)の名声を高めた、祭神植村角左衛門貴渡(うえむらかくざえもんたかのり)翁を顕彰するにふさわしい逸品です。
なお、御堂の南北及び東の上部側面には十二支の彫刻が見られますが、これらも同じく石川安兵衛の作品です。
これらの立派な彫刻の施された貴渡神社は、はじめ、栃堀の庄屋植村家の所有でしたが、明治42年(1909)に村有となりました。
なお、御堂の南北及び東の上部側面には十二支の彫刻が見られますが、これらも同じく石川安兵衛の作品です。
これらの立派な彫刻の施された貴渡神社は、はじめ、栃堀の庄屋植村家の所有でしたが、明治42年(1909)に村有となりました。
所在地 | 長岡市栃堀(貴渡神社) |
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時代 | 江戸末期 |
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