2017年1月26日木曜日

北越戊辰戦争の史跡


長岡の神社・仏閣 〖西福寺〗

慶応4年(1868)5月19日、榎峠の攻略が難しいと判断した新政府軍は、大島、槇下から信濃川を渡河し、直接長岡城を攻撃してきました。
 この時、新政府軍の侵攻を城下に知らせるため、一藩士が鐘楼にかけのぼり、この鐘を乱打したといわれています。



<史跡顕彰説明板・説明文>

 西福寺の梵鐘は、明和3年(1766)に長岡藩お抱えの鋳物師田中多左衛門尉重定が造ったものです。鎌倉時代の作風を伝え、美しい龍頭が特徴。江戸時代の長岡の鋳物業は、新町村の土屋を中心にして栄えました。
 北越戊辰戦争では、長岡藩が落城した慶応4年(1868)5月19日の早朝、西軍来襲の際この鐘が乱打されました。
 長岡の歴史にとって、近代の夜明けを告げたことから「維新の暁鐘」と呼ばれるようになりました。


所在地長岡市渡里町3丁目21番地
アクセスJR長岡駅大手口より徒歩10分
駐車場有り
問合せ西福寺 TEL 0258-33-3197










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