長岡市のシンボル『長生橋』
長生橋は長きにわたり、長岡市の旧市域である川東地域と川西地域とを結ぶ幹線経路となっているが、現在の姿となるまでには多くの紆余曲折を経ている。
県は1932年(昭和7年)、県議会で長生橋の鋼橋への架け替えを決議し設計に着手、1934年(昭和9年)1月28日に着工。トラスの躯体は日立造船が製作を担当した。同年7月、イタリアとエチオピアの間で紛争が勃発した余波を受けて鉄鋼の価格が高騰し、この影響で建材費が契約当初から5割近くも高騰するという憂き目にも遭ったが、3代目の鋼橋(現橋)は総工費約78万円を掛け、1937年(昭和12年)10月12日に竣工した。竣工当時は東北地方・北陸地方を通じて最も長い道路橋梁であった。
2代目橋梁時代の1920年(大正9年)に県道長岡柏崎線の区間に指定された後、1952年(昭和27年)に国道8号の区間となり建設省(当時)に移管したが、1970年(昭和45年)に長岡バイパスが開通したのに伴い主要地方道に指定変更されて再び新潟県に移管し、1974年(昭和49年)11月12日付で国道351号の区間に指定変更された。この間、交通量の増大に伴い自転車・歩行者の安全を確保するため、1972年(昭和47年)9月、下流側に自歩道橋が増設された。自歩道橋の桁の躯体は日立造船エンジニアリングが製作を担当している。
信濃川河川敷から見た風景 ❷
夏に開催される長岡まつりの「大花火大会」では、長生橋と大手大橋からナイアガラ花火が打ち落とされる。夜空の下、上空の花火に仄かに照らされる長生橋のトラスは、長岡市の夏の風物詩でもある。
また積雪地という立地条件から、トラス橋である長生橋では冬季間、トラス上の積雪によって雪庇や氷柱が生成されやすく、通行中の車両に雪や氷の塊が直撃するなどの被害が頻発している。このため県は冬季間、トラス部に「雪に注意」などと記した看板を掲出して注意を促している他、定期的に車道部を夜間通行止(路線バスと緊急車両のみ通行可)として、雪庇を落とす作業を実施している。
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